心の底からの笑顔がこの宇宙にあふれる Real Smileの世界へ

「なんで戦争ってなくならないんだろう?」「人間って何なの?」そんな疑問を持った冷めた子供が、世界の根源の「仕組み」と出合い、人間の無限の可能性と本当の平和の作り方に気づいたお話

東京オリンピック2021あなたはどうしたい?

東京オリンピックの開催に関して、反対の署名が42万を突破したという。世論アンケートでも7割が反対しているなどのニュースもあるし、菅総理の対応について、なぜ中止をしないのかリーダーシップを非難する声もある。
こういう時何を基準に私たちは判断すればいいのでしょうか。
政治不信の日本。
文句はいくらでもいうことはできるけれど、はたして本当に日本の立場や現状を正しく理解しているんでしょうか?
なぜいま開催を進める方向で進んでいるのでしょうか?

■反対派の意見としては
新型コロナウイルスの感染爆発
・変異株の発生、流入
・医療従事者がボランティアで大量に派遣される(ただでさえ人手不足)
・加えてコロナ前からの反対派の理由は、犯罪の増加、財政負担を懸念
などが多数だと思う。
たしかにそうだと共感するところもあるけれど、実は、これらの要素はまだ起きていない「予測」や、事実データが「曖昧」なままに、人の不安・恐怖・心配という感情をあおるものが多いなと感じます。
署名って、このあたりで動いている票が多いかなと感じます。

逆に、賛成というか「開催せざるを得ない」という立場の背景を共有している記事もあったので、いくつか読んでみました。
1.なぜ日本政府は東京五輪を中止しないのか 事態は簡単ではなくBBC News JAPAN)
2.IOCと東京都の間の契約書を読めば、なぜオリンピックを中止出来ないかが良く分かる(米国に住む日本人エンジニアの個人ブログ)
3.「東京五輪やめろ!」の大合唱に感じる危うさ、賛成派が世論に今訴えたいこと(DIAMOND ライター小林信也)
4.東京五輪、国民が支持を表明しにくい日本BBC News JAPAN)
5.東京オリンピック開催問題に、なぜ日本メディアは沈黙を続けるのか(yahooニュース フリージャーナリスト森田浩之)

検索して出てきたものを無作為に選択しているので、偏見的な観方がある記事なのかどうかはわからないですが、少し具体的な条件はみえてきました。

■開催せざるを得ない背景
・オリンピックというものは、契約上、IOCが開催権利を握っていて、開催国(今回は日本)からは、どんな事情があってもゲームの中止をすることは出来ない。それでも無理矢理中止をした場合は契約違反になり、さらにIOC側が被った経済的被害を東京都側が全て補填することになる。(1.2に関連記事)
・2022年2月開幕の北京冬季五輪にも影響を与えてしまうことになる(1に関連記事)
・誘致に関わる一連の投資がムダになり、さらに関連機関の従業員たちの雇用問題など。
・選手たちの熱情

これだけだと、金銭的な問題が注目されて、「お金の問題よりも命が大事だろう」という反対派の意見が出そうだけれど、実際に関連機関に関わっている人の生活、企業の破産の問題なども絡んできたりすると、自殺者の懸念など(実際に先日オリンピック委員会の方が一人亡くなりましたが。。)こちらにも命が関わる、複雑な事情が含まれてくるでしょう。
北京の開催が絡んでくるということは、国と国の関係性も絡んでくる問題になっています。純粋な選手たちの熱情やスポーツを通じて世界中が平和な関係性を育むという美点だけでなく、国力をかけて国を世界に知らしめる一大事業でもあるオリンピックというものが、巨大な経済活性のハリケーンのような魔物の巣にもみえてきますね。
そして何より、選手の気持ちというのもあります。人生かけて「オリンピックを目指して」肉体と精神づくりに取り組んできたその熱情を、簡単に中止の一声で断念させるわけにはいかないというのもあるでしょう。

署名をするならば、このような事実をわかった上で、日本という土台の上にたつ私たちとして何を選択するべきなのかを考えた上でやるべきだと思います。
実際に、私も「どんな情報を、どのように解析をするのか」リテラシーの力を鍛えていなければ、簡単に世論の感情の波、子どもたちや家族が心配だから「あなたも反対するよね?」という感情的な共感の流れに押し流されていたと思います。

私たち日本人は、いまは政治に関する不信が強いと思います。けれど、代案なきままのリーダー不信は、集団をカオスに陥れると思います。
日本という同じ船に乗っているならば、船長が舵を切る方向に一致団結して進む必要があります。そして、もしもタイタニック号のような災難を予測する人がいるならば、その最悪の場合をシュミレーションして、そこに対する準備を整えることが必要なのではないでしょうか。

正直、オリンピックをやってもやらなくても、今の日本の国の力は客観的にみて国際的にかなり評価が下がってきているみたいですよね。
しかも国の未来を担う若者たちの士気が下がっているというのもあります。
(このお話しはまた長くなるので別の機会に)

であれば、オリンピックをきっかけに、オリンピック憲章の本来の目的にもある「人間の尊厳」を訴える、ウイルスに屈しない人間精神の強さに挑戦する、かっこいい日本の姿を、世界に示していけたらいいなと思います。
決めたことを全力で、慎重に繊細に、チームプレイでやりとげる、そんな日本を示す、感動のオリンピックになる可能性もある。

未来の予測は、最悪のシナリオを描くこともできるし、最高のシナリオを描くこともできる。
最悪のシナリオにそって守りに動くこともできるけれど、そこには現状維持しか生まれないと思う。最高のシナリオにそって攻めに動いた時に、思いがけない発見や発明が生まれることもある。

命以上の価値に挑戦する魂、サムライの国、日本の精神をみせることができるのか、それが今回の東京オリンピックに求められていることではないでしょうか。
反対要素をどれだけ出しても、オリンピックは100%やるとリーダーが決定するならば、最善の仕組みを国民が一致団結して考え、新しい仕組みを協力して構築する。みんなの力が一致団結した時に、ものすごい底力を発揮できる日本だからこそ、覚悟して、新しい日本として生まれ変わるチャンスではないかなと思います。

笑顔のチカラ ぱーと2

笑顔をみたい

笑わせることができる人になりたい

その思いから、「笑い」って何なんだろう?って考えだすんですね

 

世に言うお笑い番組とかって

あれだけ人に笑いを与えて、すごいなーとは思うんですけど

だけどなんか

なんか

ニヒルな笑いが多いなーって感じることもあって

面白くはあるけど

あんまり好きじゃなかったんですね

私の求めてる「笑い」って何だろう?と漠然と思ってたときに

 

出あったのが「笑い」をテーマにしたイベント

とにかく「笑い」についてペアになってひたすら語る、語る、語る・・・

そして最後に気づきが生まれたんですね

 

私が求めていた笑いは

ネタで「笑わせる」とかじゃない

ひとりひとりが

ありのままに受け入れらる場ができたら

自然とわいてくるもの

その「笑い」だったんだ

それがしたいんだ

 

初めて「笑い」の本質と出あった気がした。

笑顔のチカラ

笑顔の力

 

あなたの笑顔がみれるだけで

私は何よりも幸せな気持ちになれる

 

 

笑顔の力はすごいと思う

今日たまたま友人と盛り上がったことが

どんなに美形イケメンといわれる人であっても

笑顔が機械的だったら

笑顔で崩れちゃうようだったら

違うんだよねーって話

 

みんなそれぞれの基準があると思いますが

私たちはそこで共感しちゃって

笑顔フェチ同盟ができたんですけどw

 

シンボルとしてTOKIOの「いのっちみたいな笑顔」いいよねって話

なんというか無邪気な笑顔

目が線になっちゃう系

 

しわしわの沖縄のおばあの笑顔とかも大好きだな

子供たちの笑顔はもう無条件ですね

 

こんなこといってる私は

実は小さいころ、本当に「笑えない」子だったんですよ

幼稚園のアルバムとか見てると

無表情でカメラ目線w

 

まぁもちろんたまには笑顔写真ありますけど

基本はね。冷めた子供でしたw

今は「こんなに熱苦しいのに?!」って驚かれることもあるけどね。

そうだったのです

 

だから余計に笑顔に憧れたんでしょうかね。

 

あと面白い経験があって

躁鬱病の友人がいてね

私はその子の気持ちがわかりたくて

だけど

わからないのが悔しくて

ネットで躁鬱の子達が書いてる記事を詠みまくってたら

ウツになったw

何もやる気がおきなくて

景色が灰色にみえた

 

そのときね

その子がずっとやりたいなーっていってたバイクに乗って

満面の笑顔でごきげんになってる姿をみた時に

 

ポンって頭の中で何かがはじけたみたいに

ウツが飛んでいったんだよね

そうそう

 

人がやりたいことを叶える力

喜びのエネルギーが爆発している時

その笑顔にはパワーがあるんだなって感じたひと時

 

本来は喜びそのものであり

表現体そのものである存在が

いろんな観点に固定してしまって

苦しくてうつになる

 

 

みんなの

心の底からの笑顔がこの地球この宇宙にあふれること

Real Smile を引き出すこと

それが

私のやりたいこと

建国記念日パート2

建国記念日 が気になったので調べてみました。

 

「何をもって建国記念の日とするのかは

国によって異なる」

って知ってましたか?

「国」というものを認知する概念がバラバラのままに、国という集合体をつっていたんだということに、私はまずびっくりしました。

こんなにバラバラでは世界秩序をまとめるのはそれは難しいわけです。そもそもの判断基準が違うんだから。

 

例えば

アメリカは7月4日。独立記念日(インデペンデンスディ)。これは1776年にアメリカの独立宣言が公布されたことを記念した日。当時のイギリス植民地から独立したことを宣言した記念。

 

オーストラリアは1月26日。これはオーストラリアに植民地化を目的としてイギリスの一団が入った日にちなんでいるそう。

 

ドイツは1990年10月3日 南北統一の日。

 

国によって制定された時期も理由も様々なんですね!

アメリカは植民地からの解放の精神で国を規定した

オーストラリアはイギリス植民地としての精神で国を規定した

ドイツは分断が融合されることでひとつの国を規定した

 

どこかのタイミングで誰かによって「国ですよ」と定められたとき

国という概念、国という秩序が誕生している

 

では日本は

何の記念日かというと

「初代天皇神武天皇が即位した日」なのだそうです。

紀元前660年の旧暦1月1日を現代暦になおすとこの日になるということで「紀元節」に由来しているとのこと。

これは『日本書記』という日本最古の歴史書の中で記されて記録されています。

 

 

面白いなぁと思ったことが

ほかの国は歴史的に起こった争いからの解放や融合が記念日になっているのに対して

日本は天皇の即位した日であること。

 

日本という国のはじまりを理解しようと思ったら

天皇を知らなければはじまらないわけですね。

 

今日はこのへんで。

日本人というアイデンティティ

今日2月11日は

「日本」という国が生まれた日

建国記念日 です。

 

日本の記念日が、いつから、なぜ生まれているのか

そんなことに関心を持たずに

ただ祝日として学校が休みになる日、仕事が休みになる日

だと思っていませんか?

そこにどんな意図があるのか、どんな意思があるのか気づくこともなく

私はそうでした

 

自分の国のことに関心を持たずに生きていることは

日本人というアイデンティティを放棄しているのと同じこと

国というアイデンティティを放棄しているということは

お魚が自分が泳いでいる海に関心を持たないのと同じこと

海がなければ生きられないのに

 

建国記念日

この意味をもう少し追求してみたいと思います。

争いが生まれる原因

争いはね

何かを分ける境界線があるから

生まれるんだよ

 

国と国を分ける国境という境界線

集団と集団を分ける組織(企業)という境界線

自分と自分以外を分ける体という境界線

 

だけどね

その境界線は

いつから生まれたの?

誰が決めたの?

 

どこから観るのかによって

境界線の定義も変わってしまうこの世界

 

それがわからないままに生きることは

自分を知らないままに

わけがわからないままに生きてるだけになっちゃうよ

 

だから

ほんとうの原因と出会うこと

「自分」が生まれる前の

何も分けることができない世界

境界線のない世界まで戻った時に

 

そこから争いを生み出す仕組みもみえるし

争いを生み出す理由もみえてくる

 

次は何を選択するのかだけ

戦争の作り方と同時に

平和の作り方もみえてくるから

 

どんな未来を私たちは選択したいの?

人間ひとりを理解することの難しさ2

相手を理解するためには

人というものを理解すること

理解するということは

 

仕組みを解き明かすということでもあるんだ

 

人というものの仕組みを解き明かすこと

 

それが相手を理解することであり

自分を理解することにもつながってくるんだ

 

お互いが人間の仕組みを共有できたときに

そこから本当の関係が始まるんだ